−サブリミナル ルービックキューブ−

〜5〜

俺は茶色がかったホームを歩き、茶色がかった階段を降りた。
オーケィ、今度はちゃんと改札がある。俺は安心する。
茶色がかった改札の外には茶色がかったロータリーが見えた。
そして茶色がかった人たちが動いていた。
改札を出ようとして俺は気付く。
切符。
今日はまったく無いものだらけだ。
時計の針。太陽。アキ。そして切符。
だが、ここで立ち止まっているわけにもいかない。
俺の中まで茶色がかってしまう気がする。
俺は駅員に話しかけようと窓口を覗いた。
すいません切符無くしちゃって。
オーケィ、この状況下で俺はまだ律儀さを失っていない。良い傾向だ。
しかしその律儀さを裏切って、そこは無人だった。ちくしょう。
茶色がかった駅員室。ただ、がらんとしていた。
さっきまで誰かがいたような、あるいは遠い昔から誰もいなかったような。
影の釘にかけられた、駅員の帽子が軽い風に吹かれて少しだけ揺れていた。
――このまま出てしまっても良いだろうか。
良いだろうな。
と思う。
何故なら、
ここは現実ではないから。

ノープロブレムだボーイ。俺はそのまま改札を出た。
誰かが追ってくる様子もない。大丈夫。

改札を出ると、どこにでもありそうでどこにもなさそうなロータリーに
どこにでもありそうでどこにもなさそうなバスが停まっていて、
どこにでもいそうでどこにもいなさそうな人々がぱらぱらと乗り込んでいた。
その周りにはどこにでもありそうでどこにもなさそうな建物。
全てが茶色がかっている。セピアとはまた違う、もっと暗い茶色。個性の完全な欠落。
建物やバス停を見ても、看板はすべて空白だった。文字の欠落。
けれどここでずっと茶色がかった街を眺めているわけにもいかない。
とにかくどこかへ歩こうと思った矢先、俺の前に突然人が現れた。
いや、あるいは最初からいたのかもしれないが。
とにかく、俺は驚いて立ち止まってわけである。

身長150センチくらいの小柄な男。
猫背がさらに彼を小さく見せている。
醜い顔。だが、目を離したらすぐに記憶から消えてしまいそうな、個性の無い顔。
ただその顔を眺めていると無性に腹が立った。
何故だろう。人を不機嫌にする空気をそれは吐いている。デジャヴ。

彼は俺の顔を見上げてニヤリ、と笑った。
感じの悪い笑い方。
そして、彼は肩に提げた茶色い革の鞄から無言で小さな四角い木の立方体を取り出した。
そしてまたニヤリと笑い、俺の右の手の甲にそれを押し付けた。
ぺたん。
スタンプ。
俺の手の甲に赤いインクで数字が刻まれた。29。

俺はしばらくその数字を眺めてみた。にじゅうきゅう。

「・・・何の数字ですかこれは?」
いちおう聞いてみる。頭のいい人間は疑問を放置しないものだ。
男はまたニヤリと笑った。感じの悪い笑い方。

「点数」

彼はそれだけ答えた。シンプルな答えだ。
しかし一体、
「・・・何の」

「人間の」

なるほど人間の点数。俺の点数。そいつはまったくベリィナイスなアイディアだ。
「・・・ちなみに平均点なんかは」
幼いころからテストばかりやらされている故の悲しい性がこれだ。
平均ばかり気になる。
真ん中より上か下か。人より上か下か。以上以下。
男はニヤリと笑って独り言のように答えた。

「32」

シット。
平均より下か。所詮は負け組だ。
しかしなんとなくいらいらとして、俺はその数字を左の手の平でごしごしこすってみた。
インクが滲んで、9が3に見えた。23。

「そうやって怒るから点が下がる」
男はまたニヤリと笑った。その笑い方になんだかひどく腹が立った。何故だろう。
平均点以下だったことへの八つ当たり。そうかもしれない。所詮は平均点以下の人間だ。
俺は男の首根っこを掴んだ。
すると、ポロリ。

奇妙なまでに自然なニュアンスで男の首が外れた。
最初から胴体と首は接合されておらず、上に乗せられただけだったのだろうか。
そのくらい自然なニュアンス。
ごとん。
男の首は茶色がかったコンクリートの地面に落ちる。
それでも男はニヤリと笑っていた。
そして俺の手に残された体の断面から、赤い数字が溢れ出た。

98。12。20。84。50。32。35。49。3。77。70。0。23。29。68。7。19。86。28。41。21。10。
もっと、もっと。

人間の点数。大勢の人間につけられた点数。平均以上以下。
ボロボロと音をたてて溢れていく。
それでも男はニヤリと笑っていた。感じの悪い笑い方。
男の断面からはまだ数字が溢れ出して行く。どんどん。どんどん。もっと、もっと。
赤い数字は茶色がかった街の地面を埋め、積もり、男の笑いを埋め、俺を埋め。
98。12。20。84。50。32。35。49。3。77。70。0。23。29。68。7。19。86。28。41。21。10。
赤。赤。
赤。赤。赤。平均。以上。以下。

真っ赤な世界で、真っ赤な数字に埋められた男の声が聞こえた。
「もうすぐ」
「もうすぐできる」
「あと一つ」
何まで。何まであと一つ?


思い出した。
デジャヴ。
いつか電車の中たしかに俺はあなたを見た。
しかしそれはあまりにも一瞬で。
あまりに意味のない、ある午後の出来事。
俺の何があなたに残った?
あなたの何が俺に残った?
あまりに意味のない、ある午後の出来事。
とにかく喉が乾いている。

すんっ

to be continued

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