−サブリミナル ルービックキューブ−

〜6〜


「やっと会えた」

彼はそう言ってニッカリと笑った。
赤い服。カウボーイハット。たっぷりとした口髭に、たっぷりとした体型。
一昔前の西洋劇に出てきそうなアメリカン。
たしかに会ったことがある。
デジャヴではない。
それは俺の中にあるたしかな記憶。

「すまなかった、あまり気持ちのよくない道を通らせてしまったかな」
まったくだ。謝るくらいなら最初からやめてくれ。

俺は瓶の中にいた。透明な瓶。
外側は濃い茶色の液体で包まれていた。
ところどころ気泡が浮かんでゆく。ぽこぽこぽこ。

「けれど君がここへたどり着くためにはそれらを通らなければならなかったんだ。
仕方ないのさ、ボーイ。」
彼は悪びれる風もなくまたニッカリと笑う。
俺はこんなところに来たくはなかったんだが。
「ルービックキューブのようなものなんだ。目的へたどり着くためにはステップを踏まないといけない。
そのステップが一つで済むか、何十もかかるか、それはやってみないとわからない。
君はそのステップが多少多く、そして多少気持ちの良くないものだっただけだ。OK?」

オーケィ。まあいいだろう。
俺は以前彼がやったように、彼に向かって親指を立ててみた。
オーケィ、神様。
そう、神。
以前電車の中で出会ったことがある。彼は神だ。
根拠はない。彼がそう言ったわけでもない。
けれどそうなのだ。
彼は神だ。

「それで、あなたは何故俺をここまで呼んだ?」
俺は尋ねた。
何故、俺なんかを。わざわざ不愉快なステップを踏ませて。
正直少しだけ腹が立っている。
彼の手を見ると、コーラの空瓶が握られていた。
それを使って駅で俺を殴ったんだな。
そうなんだな。

「サブリミナル効果だよボーイ」

彼はそんな俺の心中を知ってか知らずか、ニッカリと笑顔で答えた。
サブリミナル効果。
意識されないレベルで示された刺激の知覚。
意識できない範囲が意識に与える影響。
それで、そいつと俺を呼んだことと何の関係が。
俺は疑いと怒りを含めた目で彼を見る。

「ボーイ、今一番したいことは何だい?」

質問の意図が掴めないまま、しかし俺は少し考えて言った。
「何か飲みたい。喉がひどく乾いている」

神は嬉しそうに笑った。ニッカリ。
そしてこう尋ねた。
「何が飲みたい?」
俺は考える。何が飲みたい。この際ガソリンでも構わない。
でも。

「コーラだ。コーラが飲みたい」

ニッカリ!ニッカリニッカリ!!

「オッケイ!ボーイ、成功だ!」

ニッカリ!

神はバッチリと親指を立てた。
何が成功だというのだ。
いいからコーラをくれ。神ならコーラくらい、一つ手を叩けば出せるだろう。
コーラをくれ。
俺はその思いをこめて神を見る。
お願いします。神様。マジで。
が。

「それじゃ。帰っていいよ。」

WHY?

口をあんぐりと開けた俺を無視して、彼はパチンと指を鳴らした。
「お帰り、ボーイ。君は大成功だ。
そうだ、ところで小銭はあるかい?」
何だっていうんだ。全く話の脈絡が掴めない。小銭。
「ある・・・と思う」
何でちゃんと答えてるんだ俺は。あぁ。
神はそれを聞いてまたニッカリと笑う。

「オッケィボーイ!私は君が大好きだ!お帰り。BYE!!

バイ!じゃねぇ。何なんだ。
だが、そんなツッコミを受け付ける前に彼は瓶の壁に肘打ちを入れた。
バシーン!
わぉ、パワフル。さすがアメリカンである。
そして案外簡単に瓶は割れ、外の茶色い液体が侵入してくる。
あぁコーラ。
そうだ。
突然思い出す。
そうだった。彼はコーラの神なのだった。
根拠は皆無だがそうなのだ。
コーラの神。

俺はもう一度彼を見ようとしたが、その時にはもう視界は茶色で覆われていた。
そして俺の気管にまでコーラが入り込む。
ゲホンゲホンゲホンゲホン。ゴブッ。
意識が遠のく。
そういえばこのコーラの匂い。ここに来る途中で何度もかいだ。
そういうことか。サブリミナル効果。
くそっ。

赤い数字。23。点数。29。平均。スタンプ。茶色がかった街。無人の駅員室。電車。アキ。花の香りの風。ホーム。階段。ホーム。階段。太陽。時計の針。白いテニスシューズ。肉の山。髪。小さな人。カニバリズム。きーきー。ランランララン♪マイマザーハズ♪茶色の花畑。コーラの匂い。
記憶の濁流にのまれて、俺は帰っていく。どこへ。現実へ。
そして記憶は通り過ぎ、尻尾も残さず消えていく。

すんっ

太陽が真ん中よりちょっとだけ西に傾き始めた休日の午後、俺は空いた電車に揺られていた。
好きなバンドが雑誌に載るので、それを探しに近所の本屋まで行ったのだが見当たらず、
そこらじゅうの本屋を探し回ってふと気付くと隣の駅まで来てしまっていた。
デジャヴ。
前にもこんな日があった気がする。
いつだったろう。
頭に霞がかかったようにぼんやりとしか思い出せない。
神を見た気がする。いつだったろう。あまり心地の良くない既視感。意味もなく無性に腹が立っている。
だがそれよりも何よりも喉が乾いていた。
電車は俺が降りるべき駅のホームに滑り込むところだった。
黒いショルダーバッグを肩にかけて席を立つ。
だいぶ長い間このバッグを使っている。そろそろ新しいものを買おうか。
もうやわらかくなってしまったナイロンの生地をちょっとつまんでそう思った。
少しだけ無理をして2年前に買った銀色の腕時計を見る。
2時18分。
電車がゆっくりと止まり、一呼吸おいて扉が開く。
ガーッ。
電車を降り、俺は売店に向かって歩いた。
小銭はあったけ。
歩きながら黒い財布を開け、小銭を取り出す。150円。オーケィ。
俺は店員に言う。

「おばさん、コーラひとつ」

一瞬誰かの笑い声が聞こえた気がした。
何か、騙されている気がした。

しかし、あまりに意味のない、ある午後の出来事。

Fin

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