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−サブリミナル ルービックキューブ−
〜1〜
太陽が真ん中よりちょっとだけ西に傾き始めた休日の午後、俺は空いた電車に揺られていた。
好きなバンドが雑誌に載るので、それを探しに近所の本屋まで行ったのだが見当たらず、
そこらじゅうの本屋を探し回ってふと気付くと隣の駅まで来てしまっていた。
デジャヴ。
前にもこんな日があった気がする。いつだったろう。
頭に霞がかかったようにぼんやりとしか思い出せない。神を見た気がする。
いつだったろう。不思議と心地の良い既視感。
俺はその浮遊感を楽しむように目を閉じた。浮かんでは消える意味のない思考。
脳内に留めておいてもまったく意味の無いものたち。
通り過ぎて消えていく。今何を考えていただろう。
思い出そうとするが、それは既に通り過ぎて消えている。
脳の薄い皮を一枚一枚ピーラーで剥かれていくような感覚。悪くない。
その時風が吹いて、すんっ、と一瞬コーラのような匂いがした。
俺はそっと目を開ける。どうやらアナウンスを聞いていなかったらしい。
電車は俺が降りるべき駅のホームに滑り込むところだった。
黒いショルダーバッグを肩にかけて席を立つ。
もうだいぶ長い間このバッグを使っている。そろそろ新しいものを買おうか。
やわらかくなってしまったナイロンの生地をちょっとつまんでそう思った。
電車がゆっくりと止まり、一呼吸おいて扉が開く。
すんっ
まただ。またコーラの匂い。
誰か電車内でコーラを飲んでいたっけ。憶えていない。
俺はもっとまわりを見て生きるべきだ。
今まで、どれだけ面白いものたちを見落としてきただろう。
その全てを見ていたとしたら、俺はどういう人間になっているだろう。
どういう―――
ゴイーン
「え」
その時突然後頭部に衝撃が走った。殴られた。思い切り。何かとても硬いもので。
ぐわんぐわんぐわん。
ひどく痛む。誰だ。誰だ。俺は思わずその場にしゃがみこんだ。
ぶっ倒れる前にせめて俺を殴った犯人の顔を一目見てやろうと振り返りかけて―――一瞬視界に入る赤。
コーラの匂い。すんっ。
あぁ。
暗転。
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誰だ。誰かがいる。
闇の中でこちらを見ている。
笑っている。
親指を上に向けて立てて。
どこかで会ったことは無かったか。
あぁ
見覚えがある。
いつだったろう。
いつだったろう・・・・・・・
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記憶の糸はこちらの手に戻らないまま、もう一度幕は上がる。
コーラの匂い。すんっ。 |
「・・・どこだここは」
どこだここは。 |
軽い頭痛に目をしぱしぱさせながら開くと、そこは花畑だった。
どこまでも続く一面の花畑。くすんだ茶色の花畑。
そこに咲いている花は、歌っていた。葉を震わせ花弁を揺らし歌う花畑。
ざわわ。ざわわ。
風も吹いていないのに花畑は左右に揺れる。
ざわわ。ざわわ。
そして花たちは不吉な歌を歌い続けていた。
まるでテープの早回しのような高音で。
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My mother has killed me.
My father is eating me.
My brothers and sisters sit under
the table.
Picking up bury them under the
cold marble
stones. |
延々それの繰り返し。ランランララン♪マイマザーハズ♪
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お母さんが私を殺した
お父さんは私を食べている
兄弟、姉妹はテーブルの下
冷たい大理石の下 そんな私を埋めるんだ |
延々。延々。ランランララン♪マイファザーイズ♪
その高音は俺の耳をスルーして直接脳に刺さる。耳鳴りがする。
この世界は何なのか。何故花が歌を歌うのか。この歌は何なのか。
俺の中で浮かんだ様々な疑問を押しのけて、歌が頭を支配する。頭が痛い。
あぁ。やめてくれ。頭が割れる。頭が割れる。
視界がぼやけ、意識は薄くなる。脂汗がシャツを湿らせて気持ちが悪い。
その時一瞬、茶色い花畑の向こうに髪の長い少女を見た気がした。
しかし、それよりも今は頭が痛い。きーん。
ランランララン♪マイブラザーズアンドシスターズ♪
脳の中で歌が膨張する。熱い。頭の中が熱い。
そしてみるみる歌は俺の頭の中で膨張し。一気に。
ボンッ
中から俺の頭は割れた。
あまりに唐突な展開に俺は驚きたかったのだが、とにかく頭が痛かった。
ぐつぐつと頭が痛む。ぐつぐつぐつ。
誰だ。俺の頭の起爆装置のスイッチ入れたやつは。
ぐつぐつぐつ。痛い痛い痛い。
目の裏側が熱かった。
今すぐ目を取り出して、その奥に溜まっているものを出してやりたい。
どろりと。どろりと。
あぁ、しかし。俺は気付く。
頭は割れたから、もはや取り出すべき目はどこにも無い。
今日二つ目だ。頭を壊したのは。なんだっていうんだ。シット。
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ねぇ
お前は誰だっけ
どこで会ったのだっけ
どこかで必ず会った。
でも悪いけれど全く思い出せないんだ。
どんなところで笑っていないで
ねぇ
教えてくれ |
すんっ
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to be continued |