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−ミラノのパンクスとランディローズ−
3年前に、イタリアに行った。
夏のイタリア、ミラノだ。
どこへ行くわけでもなく5日間、街を歩き回った。
歩き回って、喉が乾いたらバールに入ってワインを飲む。
まったく、水とワインの値段が同じなのだ、この街をきたら。
「映画を撮りたいと思ったんだ。
ミラノの街に、主人公はヘヴィスモーカーのパンクスで、だけどクスリはやらない。
シドじゃないから。それは彼のポリシーだ。
彼はある日幻覚を見る。白い兎の幻覚を見る。
クスリのせいじゃない。彼はシドじゃないから。
彼は兎の後を追って、街を歩く。タバコを吸いながら歩く。一番重いタバコだ。
兎はどんどん増える。
1羽、2羽、3羽・・・そのうち彼の視界は兎だらけになる。
どっちを見ても兎兎兎兎兎兎。兎だらけだ。
彼はもう兎を追ってどこへ行っているのかもわからない。
兎しか見えないから。
彼は笑ってその場に座ってタバコを吸う。
兎は彼を置いてどんどん先へ行ってしまう。
どんどんどんどん先へ行って、いつか兎は1羽もいなくなって、
彼は知らないうちにあまりに遠くまで来ていて、笑って電車でミラノへ帰るんだ。
タバコを吸いながら。
そういう映画。
エンディングには、車窓の風景の一緒にオジーオズボーンを流そう。
一面のトウモロコシ畑にオジーオズボーン。
そういう映画をさ。」
僕より2つ年下の彼女は、その話が楽しいのか楽しくないのか、ちょっと笑った。
彼女はずっとそういう性格をしていて、僕はそういうところが好きで彼女を愛した。愛している。
3年前は、僕は他の女の子と付き合っていた。
その子は僕はイタリアに入っているあいだに、部屋に猫を一匹残して消えた。
果たして彼女が僕の何かに愛想をつかして自分から部屋を出て行ったのかはわからない。
ただ僕の部屋に残ったのは、彼女が消えたという事実と、わりと小さな日本猫が一匹だった。
その猫も、今の彼女が突然僕の前に現れたあたりで消えた。消えたという事実だけだ。
彼女はしばらく楽しいのか楽しくないのかわからない笑顔を貼り付けていたが、ぽつりと
「オジーオズボーンね」
と言った。
「そう、オジーオズボーン。ギターは、ランディローズだ。」と僕は言った。
なぜオジーオズボーンなのかは、僕にもわからない。
しかしオジーオズボーンなのだ。
もしかしたら、一面のトウモロコシ畑とオジーオズボーンの音楽の、絶望的な明るさが似ているのかもしれない。
「だけど、ランディローズはもう死んだわ。」と彼女は言った。
ランディローズは死んだ。
オジーオズボーンにもって天使と言わせたその青年は、
空から落ちてきたあまりに大きすぎる大きな鳥に翼を与えられた。
ランディローズは死んだ。
「でも、ジョンレノンだって死んだ。」と僕は言った。
ジョンレノンだって死んだ。ランディローズは死んだ。
僕は言った。
「だけどきっと彼らは天国にはいやしない。
彼らは死んで、この中にいるんだ。」
彼らは死んで、レコードの中にいるんだ。
だから、いいんだ。ギターは、ランディローズで。
ランディローズは死んだ。
それでもこれは今の彼の音なのだ。死の匂いなどどこにもない。何も変わらない。
僕の声と、ランディローズのギターと。何も変わらない。
彼女は、楽しいのか楽しくないのか、ちょっと笑った。
「それから」と僕は言った。
「それから、あまり女の子がオジーオズボーンなんて知っているもんじゃない。
他の誰か、たとえば君が好きな男であるとか、そういう特別に好かれたい人の前では、
そういう話はあまりしないべきだし知っているべきでもないよ。
一部の頭の堅い男であるとかそういう生き物は、女の子はオジーオズボーンなんて聴かないと思ってる。
男と女は別の生き物で、女の子はハードロックなんて聴かないと思ってるんだ。
初期のビートルズとかでも聴いてるんだろうと思ってる。」
彼女はまたちょっと笑って、「じゃあ言い直すわ。」と言った。
「オジーオズボーンって誰?私、ロックとか聴かないからわからないのよね。
初期のビートルズならまだわかるんだけれど。」
僕はとんでもなく彼女が好きになって、彼女を抱き締めた。
「僕の前ではいいんだけれどね。
オジーオズボーンを聴く女の子は、とても魅力的だと思うよ。」
彼女は嬉しいのか嬉しくないのか、ちょっと笑った。
彼女はずっとそういう性格をしていて、僕はそういうところが好きで彼女を愛した。愛している。
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