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−無限−
僕は「無限」というものが嫌いだ。「無限」なんてあるわけが無いからだ。
何事にも限りはある。
数学なんかの「無限」ってやつだって、あくまで思考の域を超えないし、その思考にだって限りがある。
だって「無限」をずっと辿って行くことなんて人間の思考では不可能である。
僕は「無限」について考えるとき、いつも胃のあたりがうずうずするような感覚におそわれて気持ちが悪くなる。
どこまでも続く物なんてあるわけが無いのだ。目に見える物には全て限りがあるのだ。
しかし、僕は最近になって目に見える「無限」の存在に気が付いてしまった。
頭の上にある、宇宙という無限である。
ところどころに星を浮かばせながら、それはどこまでも続いている。
「無限」なんてあるはずが無いのに。
そんな話を彼女にすると、彼女は少し考えてから口を開いた。
「宇宙が、大きな球の内側、っていう考え方はどうかな」
飛行機で空を真っ直ぐ飛んでいるつもりでも、本当は地面に沿って円形を描きながら飛んでいる。
それと同じに、真っ直ぐ宇宙を進んで行っているつもりで実は球の内側をぐるぐると回っているだけでは無いのだろうか。
「有限」を「無限」と信じて。
それはとても気持ちの良い考え方だと思った。
僕は彼女の考えがいつも好きだ。そこらの下らないやつらとは違う、とても意外で、だけれど違和感の無い考え方をする。
僕は想像してみた。
球のなかの宇宙。限りのある宇宙。
しかし、僕は次の問題に気付いてしまった。
「その球の外側はどうなっているのかな」
内側があるということは外側もあるということだ。
「そうだな…」
彼女はまた少し考え込むようにうつむいた。
「そう、その球は誰かの頭の中なの。誰かの頭の中の宇宙に私たちは生きているの。」
それは少し寂しいな、と僕は思った。
僕らが誰かの頭の中の宇宙にいるとしたら、僕らは単なる思考の創造でしかなくて、実際には無いということだ。
僕も彼女も実際には無いということ。
「じゃあ、僕の頭の中にも宇宙はあるのかな」
「そうだね。そういうことかもしれないよ。」
僕の頭の中の宇宙。球形の宇宙。誰かが生きている?
そう思うと、頭の中で何か小さなものが沢山動いているような気がした。
待てよ、と僕は思う。
「僕の頭の中にある宇宙に生きる人の頭の中にも宇宙はある?」
「そういうことになるね。」
「その中の人にも。」
「あるよ。」
「僕らを頭の中に含んでいる『外』の人も誰かの頭の中にいる。」
「そう。」
僕の胃はうずうずと細かく運動を始めた。
まただ。また「無限」の壁にぶつかってしまった。
どうしても「無限」がどこかに無いと、物事は考えられないらしい。
限りなく続く、頭の中の宇宙。
僕は気持ち悪さを抑えようと水を一口飲んだが飲み込めずに吐いた。
彼女は怖くないのだろうか。「無限」が。思考の届かない場所が。
彼女はいつも、とても意外で、だけれど違和感が無くて、その違和感の無さ故にとても怖い考え方をする。
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